去年の暮れ(11月末)にメキシコに着いてから、はや4ヶ月半。
皆様お元気でしょうか。季節は変わり冬から春へ。
今頃はお花見の季節でしょうか。いいなー。
私はといえば、去年のヘビーな投稿(?)からなんとか元気に生きています。
今は私にとっての全ての始まり、大好きなメキシコシティのペンションアミーゴに戻って来ました。
なんだかここに帰ってくると気が引き締まると同時に肩の力が抜け、家のようにリラックスできます。
(友達に「永住できる」と言ったら「…それは無理かな」と言われましたが…)

長いようで短い4ヶ月半、色々なことがありました〜。
笑えること、泣きたいこと、悩ましく、現実逃避したくなるようなことまで。笑
正直つらくても結果的に笑えることが多く、いつだって文章に起こしたかったのですが日本語で文章書くのも微妙だなあ、
でもスペイン語ではこの細かいニュアンスは伝わらないぞ…(そこ頑張れ)
と思っているうちにあっという間に数ヶ月が経過してしまいました;

多分4ヶ月間机にかじりついて死ぬほど勉強すればきっと今の3倍はスペイン語ペラペラになっていたんでしょうが
なんかちょっと横道にそれるようなことばっかりやってました。
あ〜あ。でも笑えたからいいや。(ダメだろ…)
なんの分野でもそうかもしれませんが、語学勉強は死ぬまで続きますね。
正直、こちらに来てスペイン語を学ぶ上で大好きな日本人との接触を避けるつもりだったので、
日本人自体と過ごすチャンスもそうそうないと思っていました。

ところがフェイスブックにも書きましたが、サンペドロ・ラ・ラグーナでお金を盗られ、
年末に逃げるように移動したグアテマラのアンティグア(勿論他の都市でも!)で沢山の友人と出会う事ができ、
本当に助けられました。
4ヶ月半の記憶は、思い返せば大抵の事は一人じゃ出来ないことばかりでした。
こちらでお世話になった方達、そして日本からいつもメールをくれる友達、家族とサトーさん(旦那)、
本当にありがとうございました。これからも引き続きよろしくお願いします。

明日の夜サトーさんがやっとメキシコに来ます。
やっとだ、やっと。
ひとまずこちらで二人で力を合わせてやっていこうと思います。
皆さま、変わらず見守っていただけるとありがたいです。
よし、頑張ろう。

《四ヶ月半の活動記録》
去年11月末にメキシコへ到着。シティからサンクリストバルデラスカサスを経て
サンペドロ・ラ・ラグーナ(グアテマラ)へ。
そこでお金を盗られるも、でも一ヶ月分お金を払ったのだから…としばらく頑張るも不眠症とダニ被害止まらず、
年末アンティグアへ移動。
年末から大晦日にかけてはペンション田代にて旅行者みんなのお陰で面白おかしく過ごす。
年始からはホームステイしながらスペイン語の勉強。
(アンティグアではスペイン語学校を三つを渡り歩き、4人先生を変えることに…)
途中、勉強もそこそこにローカルの人とスペイン語で話したいがため
路上でコロッケや寿司やジーマミー豆腐(多分アンティグア初)を売り始める。
人生であんなに叫んだことないくらい路上で怪しげなスペイン語を叫び倒し、変な度胸が付く。(完全に正気じゃない)
ホームステイのおばあちゃんとガスの使用料について(グアテマラはガスボンベ代が高い)
ガチ喧嘩をし、コロッケ揚げてる最中に出てけと言われ移動する事件も。(Accidente de croqueta japon)
そんなこんな過ごす中、頻繁にアンティグアのメルカド(市場)に通う内メルカドへの愛が溢れ出し
我々の卒業制作として「メルカド新聞」「メルカドMAP」を作成(ご興味ある方はペンション田代へGO)
グアテマラ生活が楽しすぎて気付けばナチュラルにオーバーステイしており、
焦りながらサンクリストバルデラスカサス(メキシコ)へ。(途中ちゃっかりシェラにも寄る図太さを発揮)
サンクリでは石(ラブラドライト)熱が再燃し血眼でラブラドライトを買い漁る。
(ここでも正気を失う。正気失いっぱなし)
無事愛しのシティに戻り、昔のようにシェア飯に力をいれたりマクラメ再開したり。
でも旦那さんの到着日が遅れるとのことで一足先にオアハカへ。
去年できたオアハカの日本人宿たなばたさんにお世話になりながらスペイン語学校で人生初のグループレッスンに参加、
アメリカ人生徒5人に囲まれ孤軍奮闘。
だが授業を受けるもわからなすぎて「何を質問したらいいかわからない」わからないことを伝えても
「先生の説明の内容がわからない」「なにがなんだかわからない」「私は誰 ここはどこ」な日もありしましたが、
周囲の方々に助けられ、結果「めちゃくちゃ面白かった」で終わりました。(逆になんで?笑)

現在メキシコシティ。シティが好きというか、アミーゴが好き。
Viva Mexico!!!Viva pencion amigo!!